デュオ、室内楽、など様々なスタイルで楽しむピアノ。「アンサンブルへの誘い」ではそんな分野で活躍中の演奏家をお迎えし、ピアノの魅力を探ります。第一回目は幼少時より世界中で演奏経験を積まれ、多くのアーティストから共演のオファーで引っぱりだこのピアニスト「浦壁信二」氏です。
あまりよく覚えてはいないのですが、兄がヤマハの音楽教室に通っていて、自分も自然にそのまま入ってしまったように思います。バレエやバイオリンにも興味があって、習ってみたいと親には言ったようですが、すぐに気持ちが萎えてしまってピアノを選んでしまいました。
そんな中で、ヤマハのJOC(ジュニアオリジナルコンサート)の活動に参加していました。音楽教室は演奏技術だけではなくて、音楽そのものを創作することに注力するので、即興もどんどんやるし、初見も鍛えられます。流行の音楽をさらさらっと耳コピーして弾いてみせるとクラスは「おぉー!!!」とどよめいていました。(笑)普段やっていることが花開きましたね。(笑)自分も得意になっていたかも。
小学校6年生のときに初めて海外に出ました。アメリカ・ワシントンの国連総会議場でのJOCコンサートです。1981年だったかな。今はもう亡くなられた巨匠のロストロポーヴィッチさんの指揮でナショナル・シンフォニーとの共演でした。すべてが緊張の連続でした。長時間、飛行機に乗るのも初めてだったし(当時はアンカレッジ経由)、体調を崩してしまい、最初にニューヨークで記者会見があったのですが、もうずっとお腹が痛くて痛くて。。。
音楽で生活していくんだと実感を持って決めたのは20才になってから。留学先のパリで。結構のんびり屋なんです。もちろん子供の時からなんとなく音楽の方向へと思っていたけれど、20歳になった時、「他にはもうやれることないしなぁ。。。」てなカンジです。(笑) 留学先にパリを選んだのは、中学2年の時、フランス地中海でのコンサートに出演するため、初めてフランスに行き、その時のイメージがよかったからと言うことと、高校1年ではパリ公演に行かせていただき、本当にいいところだなぁと。
言葉が全くできなかったので最初から大変な思いをしました。それに一人暮らしも初めてでしたからね。日曜日がすべてのお店が閉まっているのにはまいりました。外食は高いので学生の身ではそうそう。。。だから自炊しなくてはならないんですが、冷蔵庫は空っぽ、お店もお休み、なんてことがよくありましたよ。お腹すかせてばかり。。。(笑)生活のリズムが全く違うことと、フランス人の融通がきかないところに、最初はとても面食らいました。
アンサンブルの醍醐味ですか?うーん、やっぱり一緒にいい舞台にしようと言う共通目標があり、片方がどんなにうまくてソリスティックに仕上げても、それだけでは音楽は成り立たないわけで、例えばこの曲のこの部分はお互いにもっと音を薄くして、交わる雰囲気を作ろうとか、そうやって作り上げていく過程が面白いですよね。
ピアノは音が多いゆえに、一緒に演奏する声や管弦楽器などの限界をカバーできる部分もあります。だから何事もまずは受け入れて、自分に何ができるか考えます。やはり、なんと言っても沢山の人達と多くの濃い議論をしていくから、結局は自分の引き出しを増やしてもらっているんだと思っています。
何年後かにその時と同じ共演者とやり、「あっそうか! これが言いたかったのか!!」とぽろっとわかってしまう。「そうかー! これ、これ」ってね。自分に求められていたことに気がつくのに何年もかかってしまって。(笑)でもこれが面白いんです。自分がいっぱいいっぱいになってしまって、わからなかったことが後になって見えてくる。それって、その時は相手が合わせてくれていたんですよね。思い起こせばそんなことは沢山あって。。。まぁ音が多い分だけ要求されることも多いのですが、今はなるべく受け止めるよう心がけています。
1969年10月生まれ。4歳からヤマハ音楽教室に学ぶ。81年 JOC(ジュニアオリジナルコンサート)国連コンサートに参加し、故ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団と共演。その他にも各地で自作曲を多数のオーケストラと共演する。85年、都立芸術高校音楽科に入学。87年フランスのパリ音楽院に留学。和声、フーガ、伴奏で一等賞、対位法で二等賞を得る。94年オルレアン20世紀音楽ピアノ・コンクールで特別賞を得て優勝。ヨーロッパでリサイタルを行う。ヴェラ・ゴルノスタエヴァ、イェルク・デームスにも師事する。96年2月フランスでCD「スクリャービン:ピアノ曲集」をリリースし、好評を得る。現在は室内楽、伴奏でも活動を展開している。2003年、アウローラ・クラシカルから「ストラヴィンスキー・ピアノ曲集/ペトルーシュカ」をリリースした。
