「バックステージ・パス」では舞台裏でピアニストを支える方々にスポットを当ててご紹介していきます。第一回目は世界中で多くのトップ・アーティストの支持を集めてこられたコンサート・チューナー「程内隆哉」さんに長年の苦労話や舞台裏のエピソード、そしてピアニストとの交流などをうかがいました。
まず、私の父が調律師でした。自分としてはずっとトランペットをやっていてプロになりたかったんですね。でもそれでは食べていけそうにない、仕事として成り立つのはとても難しそうだったのでこの道を選びました。調律をやりながら、トランペットが吹けたらいいな、と思って。そして村上輝久さん(※)に勧められて会社(ヤマハ)に入りました。3年くらい工場で実習を受けて、それから現場に出ていけばよいと聞いていました。ところがわずか3カ月で当時のヤマハ関東支店に放り出されました。騙されましたね(笑)
(※)リヒテルなど世界的ピアニストに関わったコンサート・チューナー

1986年頃にロンドン・パリ・ニューヨークにヤマハ・アーティスト・サービスが開設されることになり、そのニューヨークの立ち上げを担当しました。丸6年駐在しました。自分は30歳を過ぎたばかりでした。そのころからアンドレ・ワッツさんとお仕事させていただけることになり、確か3-4回目の公演が彼のデビュー25周年記念コンサート。リンカーン・センターのエイブリー・フィッシャー・ホールでズービン・メータ氏の指揮、ニューヨーク・フィルをバックに一晩でリスト、ベートーヴェン、ラフマニノフの協奏曲を3曲も演奏されました。これはアメリカでテレビ初の全米同時生中継でしたから驚きでした。事前に聞かされていなかったので、ホールにテレビの電源中継車が横づけされているのを見て、本当にプレッシャーを感じました。まだ若かったこともあり。

その上、この日は雪で、待てど暮らせどピアノがホールに届かない、大渋滞にはまってしまって。そして室温は23度くらいあるのに、外気は-20度、つまり43度の気温差があるんです。ようやく遅刻して届いたピアノはホロ・トラックで運ばれてきたので最悪です。楽器はびっしょり汗をかいており、ピッチはぐしゃぐしゃ、リハーサルが始まるまでの1時間、必死でピアノと格闘しました。 そうして舞台に現れたズービン・メータ氏「ふん! ヤマハ? 君が調律したの?」とピアノを一瞥され。。。(苦笑)
加えて、現地のチューナーが3人、物珍しさから見学にきているわけですよ。「狂ってるよ、音」ってね。-20度から運んで来たのだから仕方ないよ!って言いたいけれど言い訳できない。今では彼らはよき友達ですが。(笑)

本番ですか?もちろんうまくいきましたよ。幸いリハーサルの後、開場まで4時間ありましたから。これがコンサート・チューナーとして最初の大きなプレッシャーと危機を体験した「事件」でした。
その後がまた大変!(笑)当時、日米貿易摩擦で、日本の自動車や家電とかたくさん輸出していてアメリカの製品が売れなくなり、大きな問題になっていたんですね。NYにもピアノメーカーがありますから、ヤマハがここに出てきたのは大変なこととしてテレビとか色々なメディアが取材に詰めかけ、カメラとマイクを向けられました。
リンカーン・センターでの公演の数日後がクリーブランドでの本番、ここにもテレビカメラがついてきて、ニュース番組で20分間取り上げられました。これはドホナーニ氏の指揮でワッツさんはベートーヴェンの協奏曲を弾かれたと記憶しています。

コンサートの現場でトラブルはつきものです。海外では尚更のこと。アンドレ・ワッツさんのヨーロッパ・ツアーに同行した時のことは今も忘れられません。ベルリン・フィルの本拠地にハンブルグのヤマハから楽器を運んでもらったのですが、調律を始めたらなんだかおかしい。。。変なんです。
楽器が傾いているんです。手前が低い。よくよく調べてみたら、脚のネジが折れていて、そこに後から新しいネジを締め込んでいるものだから、締めれば締めるほど本体と脚を固定する台座が剥離していくという状態。
自分でなんとかするしかないので、フィルハーモニー・ホールの担当者にドリルやらネジやら調達するために相談したんですね。するとホールの.道具庫に連れて行かれて驚きました。「さすがドイツ人!」すべてのネジや様々な工具がサイズ・規格別に棚に整然と収納されており、まるでお店!(笑)
何ミリのネジ、どのサイズのドリルが必要なのか、言えばすべて出てくる。。。とにかくオーガナイズされていて驚きましたね。おかげで道具は揃い、幸いステージが油圧式で分割して昇降できるシステムだったので、楽器本体のところだけ持ち上げてもらって脚を修理しました。
リハーサルには間に合わなかったので、傾いた状態でワッツさんには練習していただきましたが。もちろん本番は成功でした。

ヨーロッパ・ツアーの終盤戦、ミラノでの出来事も強烈でした。ここの現場ではほとんど英語が通じないので、当時、現地法人ヤマハ・イタリアに駐在されていた内山さん(現ベーゼンドルファー・ジャパン社長)に通訳を兼ねて手伝ってもらい、二人でピアノを運び入れました。
すると、ステージになんと穴があいていた。ここにピアノの脚のキャスターがはまり込んでしまい、脚が真っ二つに割れてしまったのです。これ本番の1時間半前。内山さんが現地のディーラーやらなんやらに八方手を尽くして工具を調達してくれ、応急処置をしました。でも本番中に何かあってはいけないので、コントラバス用の高い椅子をピアノの下に入れて支え、なんとか乗り切りました。
嘘みたいなお話でしょ?(笑)アンドレ・ワッツさんは年間75回くらいの公演を担当させていただいたのでドラマは尽きません。
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