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    <らっこ・アーティスト>八代亜紀 あの頃あの場を夢想する

    配信日: | 配信テーマ:ジャズ

     音楽の「場」は時代と共に変遷していく。古代は祭礼の広場か。貴族の館であろうか。時を経て、音楽が大衆のもとへ降りてくると、戦前には、カフェやナイトクラブが出現。戦後になると、ジャズ喫茶、ゴーゴークラブ、ディスコが生まれ、近年の夜は単にクラブと呼ばれる「場」が登場した。コンサートサイズでも、公共ホールからスタジアム、アリーナ、ドームと大型化する。音楽が「場」を変えるのか「場」が音楽を変えるのか……。

     八代亜紀の新アルバム「夜のつづき」(ユニバーサル)のジャケット写真で八代がたたずむのは、東京・蒲田のキャバレー「レディタウン」である。この店は1965(昭和40)年に開店し、この8月10日に52年の歴史に幕を閉じた。「懐かしかったわ。私がデビューしたのが71年。『なみだ恋』がヒットしたのが73年で、その頃はホールも少なく、全国のキャバレーやナイトクラブが私の歌の主戦場だった。この店で歌ったことはなかったけれど、同じにおいがしたわ」。八代はうれしそうに“あの頃”に思いをはせる。

     「夜のつづき」は、まさに「あの頃」の「あの場」にトリップさせてくれるアルバムである。2012年に話題を呼んだ「ジャズと歌謡曲」のカバーアルバム「夜のアルバム」の正統な続編。プロデューサーも同じ小西康陽である。「ただね、前のは、『八代亜紀を作った歌』。今度のは『これからの八代亜紀を作る歌』を小西さんが考えてくれた。『古いけど新しい』歌が入った小西さんのアルバムって言ってもいい」と小西の力を高く評価する。

     博識な小西はジャズから歌謡曲まで広く深く通暁する。八代が「初めてちゃんと聴いた」という「フィーヴァー」「カモナ・マイ・ハウス」、浅川マキの「夜が明けたら」などから、ヘレン・メリルで有名な「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、「黒い花びら」など多種多様な歌が収録される。

     「私は、ジャズも歌謡曲もまったく区別しない。大ホールもキャバレーも何の差もない。いい歌が歌えるところがあればいいの。東京に出てきた頃は『クラブ歌手』って言われ、そのうち『流行歌歌手』になって、今『演歌歌手』って言われるけど、『演歌』が一番新しいのよ。これから『ジャズ歌手』かしら」とほほ笑む。また小西が書いた「ユード・ビー・ソー〜」の日本語詞について「面白い仕掛けがしてあるのよ」とさらに大きく笑う。「あの頃・あの場」と同じ新鮮快活な八代の歌が誕生したようだ。

     11月13日にブルーノート東京でライブ。新たな音楽の「場」として定着する液晶付きの「板」を置いて、生身を感じるちょっと高級なグランドキャバレーを夢想しようか。【川崎浩】

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