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    [ショウタイム]ベルウッド・レコード設立45周年 三浦光紀×鈴木慶一

    配信日: | 配信テーマ:Jポップその他

     ◆日本語ロック 始まりの風景
     1970年代、日本語ロックの世界を切り開いたとされるバンド、はっぴいえんどやはちみつぱい、歌手の小室等らの名盤を生んだベルウッド・レコードが設立45周年を迎えた。当時の邦楽の主流とは毛色の違う音楽を次々と発表し、細野晴臣や大瀧詠一ら、後に一時代を築く人材を輩出した。設立の中心的な役割を果たした音楽プロデューサー、三浦光紀と、はちみつぱいの鈴木慶一に当時を振り返ってもらった。(聞き手 鶴田裕介)
     ——設立当時、三浦さんはキングレコードのディレクターでした。なぜ、新たなレーベルを?
     三浦 当時のレコード会社には専属制度があって、外部のミュージシャンやエンジニアは使っちゃいけなかったんですね。古いシステムだと新しい音が作れないということで、会社にお願いして新しいレーベルを作ってもらいました。基本方針は「アーティスト至上主義」と「レコード芸術の追求」。料理人の友人が、料理の9割以上は素材だと言うんですよ。レコードもそうだと思って。スカウトだけは誰にも任せず、自分で決めました。全部自分で声をかけて、納得したものしかやらない、という方針でした。
     ——アーティストを集めた基準は?
     三浦 まずは言葉。何を歌っているかが重要だった。当時、ロックは英語じゃないと成り立たない、みたいに言われていた。日本語は(ロックに)乗せにくいと。
     鈴木 確かに乗せにくい。歌詞は文化。背景にはいろんなものがあり、完全なる翻訳は難しい。英語詞には、スラング(俗語)も、都市名も出てくる。反対に「鎮守の森」とか、どうやって英語に訳すのか。そういうのをイメージするのは難しいし、日本語でやることが一番伝わるであろうと。
     三浦 はっぴいえんどは実験的な形で、はちみつぱいは自然に、日本語ロックをやっていた気がする。随分後になって、著名な詩人が「ベルウッドはみんな言葉がいいよね」と言ってくれて、うれしかったですね。それとサウンド。ライブを見て、演奏能力のレベルが違う、と思った人としかやっていません。スタジオは毎日実験でした。
     鈴木 はちみつぱいで(あがた森魚(もりお)のデビュー作)「乙女の儚夢(ろまん)」を録音した。時間も自由だし、エンジニアさんにいろんな注文を出すわけ。スネア(ドラム)をこういう音にしてくれ、とか。はっぴいえんども10時間くらいかけてドラムの音を決めていたりしたので、そういうことをやるのが当たり前だと思っていた。全員試行錯誤で、録音芸術としての何かを作っていこう、と。で、スタジオに三浦さんは、時々顔を出すだけ。
     三浦 僕はその場を作って、最良の人材を集めたら、仕事の8割9割は終わっていて、その後の宣伝や営業をメインにしていた。音作りは僕より優秀な人がたくさんいるので、お任せ。
     鈴木 ボスが口を出さない。本当に感謝してるよ。
     ——いわゆる「ニューミュージック」の先駆けと言われます。
     三浦 ベルウッドを設立する時、「ニューミュージックの宝庫」というキャッチコピーを付けました。営業に「君のレコードはどのコーナーに置くの」と聞かれ、フォークとも、ロックとも違う気がして。たまたま(雑誌の)ニューミュージック・マガジンがあって、そこから取った。後にオシャレな流行歌がニューミュージックと言われるようになってしまい、雑誌の関係者に謝りに行きました。
     ——78年、ベルウッドは活動を休止。三浦さんはその数年前に社を去りました。
     三浦 色々ありましたが、一番の要因は、僕の面倒を見てくれた上司が、会社を辞めると言い出したこと。それで僕も辞めちゃった。もう少し落ち着けばよかったと思うこともあります。
     鈴木 その時に我々(はちみつぱい)も解散する。何かの変わり目だったんだろうね。
     ——70年代のベルウッドが歴史的に果たした役割は。
     三浦 よくわかんないですね。とにかく恥ずかしくないものを、と目先の仕事をやっていたらこうなった。
     鈴木 周りが決めてほしい。当事者は分からない。
     三浦 でも、本当にいい人たちと出会ったな、というのはつくづく思います。
     鈴木 ラッキーだったと思う。音楽をやる上で、ラッキーはかなり重要ですよ。
           ◇
     10月8日、東京・新宿文化センターでベルウッド・レコード45周年記念コンサートが開かれる。はっぴいえんどの元メンバー、細野晴臣や鈴木茂、あがた森魚、はちみつぱいらが出演。チケットは完売。
     
     〈ベルウッド・レコード〉
     1972年、キングレコードのディレクターだった三浦光紀が中心となり、社内レーベルの形で発足(翌73年に法人化)。あがた森魚(もりお)の「乙女の儚夢(ろまん)」、はっぴいえんどの3枚目で、米ロサンゼルスで録音した「HAPPY END」、はちみつぱい唯一のアルバム「センチメンタル通り」など、当時のヒット路線とはひと味違った作品を数多く発売した。三浦が日本フォノグラムに移り、78年、レーベル活動を休止。2001年に復活し、現在は新人育成やマネジメント業務などを手がけている。

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