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    <音楽玉手箱>原信夫/上 兵隊へのあこがれ=専門編集委員・川崎浩

    配信日: | 配信テーマ:ジャズその他

     自分のバンドで歌う出場者でない限り、NHK紅白歌合戦は、生のビッグバンドでの伴奏が原則だった。紅白チームがそれぞれ「シャープス&フラッツ」と「ニューハード」に分かれ、舞台上の演奏でも覇を競った。その後、1バンドに簡略化されてステージ下に追いやられ、今は別棟でモニターを見ながらの演奏である。ビッグバンドは、昭和日本の歌謡界を支えたのである。

      ■   ■

     シャープス&フラッツのリーダー・原信夫、本名・塚原信夫は1926年、11月19日に富山に生まれる。3歳くらいまで映画館を営んでいる親戚の家に預けられ、そこで、無声映画の伴奏のバイオリンを楽しんでいたのを原は覚えている。「もうちょっと大きくなると、チンドン屋の音楽が面白くて、後を付いて回っていた」。音楽好きの子供であった。尋常小学校にブラスバンドがあり、すぐに入った。渡されたのはコルネット。「応召兵を壮行する駅までの行進に駆り出された。『紀元二千六百年』なんか吹いたね」

     本格的に音楽を始めるのは小学校の高等科を終え青年学校に入ってからになる。本江青年学校には大きなブラスバンドがあり、海軍軍楽隊出身の指揮者が指導に来ていた。原は「珍しい楽器だったし格好良かった」とアルトサックスを選ぶ。一般的な勉強と軍事教育、工場実習、そしてブラバンが青年学校の日課だった。「兵隊にあこがれるように教育されるんですよ。卒業の時には『天皇のために死ぬぞ』って思っていた」。16歳の春、志願する。「第1志望が海軍軍楽隊、第2志望が海軍航空隊。どこかで音楽しながら生き延びていたかったんだね」。若き自分をほほえましいと思う。

      ■   ■

     志望通り軍楽隊に配属された塚原少年は、「新兵」となり音楽を習いながらもカッターこぎや手旗信号を覚える。3カ月たつと「練習生」として、横須賀の軍楽隊で徹底的に音楽を仕込まれる。「和声楽を学んでいるのに精神注入棒で尻をたたかれる」毎日を過ごす。この時、昨年亡くなったテナーサックスの尾田悟と生活を共にする。

     軍楽隊出身者は終戦直後のジャズ界、というより音楽界全体を支えた。軍楽隊では、1年間でクラシックの「いろは」を理解させ初見で演奏できるレベルまで教育する。さらに、戦前の演奏家に、戦後解禁された米国産ポピュラー音楽を弾きこなす感性はほとんどなかった。ところが、軍楽隊、特に海軍軍楽隊は、他国との交流も少なくなく、ジャズなど先端音楽に触れる機会が多かった。戦後、進駐軍キャンプはもとより放送や映画音楽の場で軍楽隊出身者はひっぱりだこになるのだった。

      ■   ■

     そんな終戦後の情景など、原の頭に浮かぶわけはなかった。原は44年に連合艦隊に配属される。「日本はもう、負け始めていてね。木更津の連合艦隊に戦艦はいないんだ。旗艦の『大淀』に乗っていた。出動は1回きりで、それも、米潜水艦がうじゃうじゃいるって、東京湾の出口でUターンして戻って来た。そのうち司令部全体が日吉に移り、軍楽隊は横須賀へ戻された」

     終戦間近、軍楽隊ですら米艦載機に狙い撃ちされ「楽器は防空壕(ごう)に入れて無事だが、頭の上を銃弾がかすめ兵舎はハチの巣になった」こともある。45年夏、「次の慰問はニューヨークだな、なんて軽口をたたくこともあったが、集まってラジオで聞かされたのは玉音放送。何が何だか分からなかったものの、上官が日本刀を振り回して興奮している。『あ、これで帰れるんだ』と安堵(あんど)したね」。19歳の原は、音楽技術を身に着け、故郷へ戻ることになる。

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