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    <大衆音楽月評>ムッシュの「時代」にお別れ=専門編集委員・川崎浩

    配信日: | 配信テーマ:その他

     日本で「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と言えば、最初に頭に浮かぶのが3月1日に78歳で亡くなったムッシュかまやつである。もちろん大スターなのだが、そんなそぶりは一度たりとも見たことがない。いつも若者を立て、後ろでたばこをくゆらせていた。

     5月2日、東京都内のホテルに約1000人の参列者を集め、「お別れの会」が開かれた。音楽一家に育ち、最先端の音楽に触れては、仲間にそれを紹介して楽しみ、ユーモラスでおしゃれでかっこいいのにどこにも嫌みがなく、誰からも好かれた。

     1966年のザ・ビートルズ武道館公演を見て、メンバーが弾いていたギター「リッケンバッカー」をすぐに注文したという。愛車もジョン・レノンと同じ「ミニ」だった。すべてに先駆者であった。なのに、60年前後、人気歌手の「三人ひろし」(井上ひろし、水原弘、かまやつひろし)に数えられていたのも「自慢」とほほ笑んでいた。

     「ムッシュお別れの会」の1週間前の4月25日、元ザ・ビートルズのポール・マッカートニー(74)が東京・日本武道館公演を開催した。その4日前には、加山雄三が東京国際フォーラムAホールで80歳記念コンサートを開いた。共に2時間半、約30曲を歌い奏でる出ずっぱりのステージであった。「お別れの会」でも同年代のミッキー・カーチスらが元気な姿を見せていただけに、ムッシュとの別れの早さが悲しみを大きくする。武道館は、東京五輪に向けて改装に入るため、ムッシュが見た「ビートルズの武道館」の雰囲気はこれが見納めのようである。

     日本語で「ロックの殿堂」と訳される2種類の「場」がある。一つが米クリーブランドにある「ロック・アンド・ロール・ホール・オブ・フェーム」。もう一つが“手形”で有名な「ハリウッド・ロック・ウオーク」。権威があるのは「ホール」の方で、3月18日に亡くなったチャック・ベリーが86年の第1回受賞者である。ちなみにザ・ビートルズは88年、ポールは99年に仲間入りしている。87年の第2回でマディ・ウォーターズが受賞したが、彼のバンドで抜群のブルース・ハーモニカを吹いていたジェームズ・コットンも3月16日に亡くなっている。

     「ロック・ウオーク」でも日本人にはハードルが高い。最初にウオークに「手形」を残した日本人は、電子楽器のMIDI規格を開発した元ローランド社長・梯郁太郎氏である。梯氏も4月1日、87歳で亡くなった。

     世界中にキナ臭いにおいが立ち込める昨今だが、音楽は常にそのにおいに敏感に反応してきた。ロックやフォークはその代表格である。4月5日、69歳で亡くなったフォークシンガー加川良の「教訓1」は、原発事故や改憲、防衛問題も予言的に視野に置いていた。ムッシュが大好きだった若者たちは、どんな「教訓」を歌ってくれるであろうか。

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