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    ジョン・コルトレーン編<3>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

    配信日: | 配信テーマ:ジャズ

    1956年末になって、ジョン・コルトレーンが“黄金の”マイルス・デイヴィス・クインテットを辞するに至る原因は、前回言及したように麻薬との関係を断ち切るためであったことは確かなようだ。

    コルトレーンが麻薬を絶とうとしたことはそれまでにも何度かあったようだが、その禁断症状から逃れるために大量のアルコールを摂取するという、“毒を以て毒を制す”方法に頼っていた。麻薬問題を克服するためにベロベロに酔っちゃったというのだから困ったものだ。

    そんな状態のプレイヤーをメンバーにしておくわけにいかないのは、当然といえば当然。業を煮やしたマイルス・デイヴィスがジョン・コルトレーンを“ボコッて”しまう。ちょうどその場面に出くわしたセロニアス・モンクが烈火の如く怒り、「ウチに来い」と言ったことで脱退が決まった、という説もある。

    しかし、いくらセロニアス・モンクの面倒見がよかったといっても、まともに演奏できないコンディションの者を雇う余裕があったとは考えにくい。ましてや当時のモンクは、必要な登録を怠っていたためにニューヨークのジャズ・クラブで演奏活動をすることができないような状況だった。

    とはいえ、多忙なマイルス・バンドを離れて、リハビリをしながら自分の音楽を追究させてやりたいという“親心”が働いたことは十分に考えられる。

    当のジョン・コルトレーンは、マイルス・バンドへの参加とほぼ同時期に結婚した最初の妻ナイーマの影響でイスラム教への傾倒を強め(故郷フィラデルフィア時代からイスラム教は身近な存在だったが、彼自身は敬虔なクリスチャンで改宗することはなかった)、麻薬やアルコールに依存し続ける深刻な状況から今度こそ抜け出そうとしていた。

    しかし、1956年の後半はその過渡期にあたり、禁薬・禁酒のため故郷へ引っ込んでしまったジョン・コルトレーンにマイルス・デイヴィスが引導を渡さざるをえない状況であったことも確かだろう。

    幸いジョン・コルトレーンは故郷で体調を回復し、再びニューヨークへ戻る。そして、彼に期待を寄せていたセロニアス・モンクが受け皿となってカムバックの御膳立てをして、見事ソロ・デビューとマイルス・バンドへの復帰を果たす――というあたりが(セロニアス・モンクがマイルス・デイヴィスのもとからジョン・コルトレーンを引き抜いていったという劇的なエピソードではなく)無理のないストーリーなのではないだろうか。

    ただし、劇的ではなかったとはいえ、受け皿となったセロニアス・モンクがジョン・コルトレーンの“踏み絵化”を大いに後押ししたことは事実だった。

    次回は、セロニアス・モンクに迎えられた1957年の、ジョン・コルトレーンの“変化”から始めてみよう。

    <続>

    2017年4月20日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:富澤えいち

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