音楽ジャーナリスト&ライターの眼 ~今週の音楽記事から~

新聞社の音楽記事、音楽ライターによる書き下ろし記事を集めたウェブサイトです。(毎週、月・木更新)

音楽ライター記事

つぶやく・ブックマークする

    ジョン・コルトレーン編<1>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

    配信日: | 配信テーマ:ジャズ


    チャーリー・パーカーという“踏み絵”を踏むことなく、彼の演奏や方法論を(少しでも)理解しようとしたジャズ・ファンには、メロディや型どおりのコード・ワークにとらわれることのない、より自由にジャズを楽しむことができるビバップという“免罪符”が与えられることになる。

    チャーリー・パーカーを“踏む”、すなわちビバップへの先入観的拒絶を自らが認めてしまえば、1940年代以降のほとんどのジャズは理解できない、許容できないものになってしまうだろう。

    では、チャーリー・パーカーという“踏み絵”さえ踏まなければ、それ以降のジャズをフリーパスで理解できるのだろうか?

    その答えは、残念ながら「ノー」なのだ。

    チャーリー・パーカーという“踏み絵”が、ジャズを楽しむための試金石として効力を発輝するのは、1950年代半ばまで。実は、1955年というチャーリー・パーカーの寿命が尽きた年を境に、と言っても大げさでないほど、ジャズ・シーンはそこで大きな変革を迎えることになるからだ。

    つまり、チャーリー・パーカーという“踏み絵”を踏まずにジャズがもたらす甘露を享受していた者には、次なる“踏み絵”の試練が待ち受けている、というわけだ。

    その“踏み絵”とは、ジョン・コルトレーン(1926―1967)。

    ジョン・コルトレーンがプロのサックス奏者として活動を始めたのは1946年、20歳になったころのことだ。その3年後には、ビバップの立役者として最前線で活躍していたディジー・ガレスピーのバンドに抜擢されたりしているので、腕前に遜色はなかったのだろうが、決して早熟の天才的な注目を浴びるような存在ではなく、実際に1940年代のジョン・コルトレーンに取り上げるべき業績はない。

    彼が注目を浴びることになったのは、マイルス・デイヴィスからレギュラー・メンバーのオファーを受けたことがきっかけだった。それが奇しくも1955年のこと。

    マイルス・デイヴィスはその3年ほど前に自身のライヴ・セッションにジョン・コルトレーンを起用したことがあり、すでにその腕前がどの程度であるのかを知っていたようだ。

    ならば、その実力を期待してのレギュラーへの起用だったのかと言えば、そうでもなかったらしい。

    1950年代前半のマイルス・デイヴィスが考えるサックス奏者のベスト・チョイスは、まずソニー・ロリンズ。そして、キャノンボール・アダレイ。ジョン・コルトレーンは“補欠要員のひとり”にすぎないというのが実情だったようだ。

    いわゆる“棚ボタ”で浴びた脚光だったわけだが、その不均り合いさを証明するかのように、当時のジャズ・ファンからの評価は芳しくなかった。

    マイルス・デイヴィスや周囲の評価は高かったものの、自身の体調不良によって、l年半ほどの活動の後にジョン・コルトレーンはマイルス・デイヴィス・クインテットをクビになってしまう。

    ところが、再びマイルス・デイヴィスのツアーにレギュラーとして迎えられた1957年末の時点で、シーンの彼への評価は180度ほども異なるものになっていた。

    “踏み絵”に足る変貌を遂げた1957年以降のジョン・コルトレーンについては次回。

    <続>

    2017年4月 6日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:富澤えいち

    音楽ライター記事一覧を見る

    ジャズ のテーマを含む関連記事

    <Topics>デビッド・マシューズ 3作発表「鍛錬の音、一気に」

     日本で人気を誇るジャズ・アレンジャーでピアニスト、デビッド・マシューズ率いる「マンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)」が6月から3作連続してアルバムをリリース。14日のビルボードライブ東京など全国ツアーを行っている。 アルバムは「スイングしなけりゃ意味ないね」「...

    ジョン・コルトレーン編<4>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

    実は、ジョン・コルトレーンを“踏み絵”としての存在へと導いたセロニアス・モンク(1917-1982)自身も、やがて“踏み絵”として広く知られることになり、現在に至っている。彼を“踏み絵”の座に据えたのは、“セロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティション”。このコンペ(競...

    ジョン・コルトレーン編<3>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

    1956年末になって、ジョン・コルトレーンが“黄金の”マイルス・デイヴィス・クインテットを辞するに至る原因は、前回言及したように麻薬との関係を断ち切るためであったことは確かなようだ。コルトレーンが麻薬を絶とうとしたことはそれまでにも何度かあったようだが、その禁断症状から...

     

    ページの先頭へ戻る

    • RSS
    • お問い合わせ