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    チャーリー・パーカー編<4>|なぜジャズには“踏み絵”が必要だったのか?

    配信日: | 配信テーマ:ジャズ


    チャーリー・パーカーが、どのような“周囲をドン引き”させる演奏をしていたのかは、残された音源を聴けば想像することは可能だ。

    しかし、残念ながら当時の人々がどんな思いを抱いたのかまでは想像できない。

    そこで、当時を回顧したマイルス・デイヴィスの証言を頼りに、それがどんなものだったのかをたどってみよう。

    まず、マイルス・デイヴィスが1949年に3回のスタジオ・セッションを行なって収録した『クールの誕生』について語っている記述を引用したい。

    「『クールの誕生』は、オレが思うに、バードとディズの音楽に対する反動として支持され、コレクターズ・アイテムになったみたいだ。バードとディズは、ヒップでやたら速い音楽をやっていたが、よほどわかりの良い奴じゃないと、音楽のユーモアとかフィーリングはつかめなかった。スイートじゃなかったし、ガール・フレンドとキスしようとして口ずさめるような、和声的なメロディーも持っていなかった。ビ・バップには、デューク・エリントンのような人間性もなかった。誰にでも簡単に見分けられるような要素が、まるでなかった」(引用:『マイルス・デイビス自叙伝』マイルス・デイビス/クインシー・トループ著、中山康樹訳、JICC出版局)

    文中の“バード”はチャーリー・パーカー、ディズはディジー・ガレスピーの愛称。

    マイルス・デイヴィスは、この『クールの誕生』によって、1950年代に大きく発展するモダン・ジャズのフォーマットを築いた。つまり、ジャズを“モダン”と冠するにふさわしい音楽にするための、芸術性と大衆性を与えたというわけだが、芸術性はさておき、少なくとも大衆性においては、ビバップを踏襲しないことが大きな要因となっていたことが、この記述からもうかがえる。

    ビバップは、スウィングの反動として生み出されたスタイルだといわれるが、感情とのリンクを重視するスウィングに対して、テクニックを際立たせることができる手法を優先させている点が特徴的だ。ともすればシステマチックに終始してしまうことが、“人間性もなかった”というマイルスの言葉からも読み取れるだろう。

    ちなみに、『クールの誕生』は決して反動の反動、すなわちスウィングのリバイバルを源泉とするものではなかったことにも触れておきたい。そうでなければ、ジャズが伝統芸能の道をたどることを防ぎ、より柔軟な芸術性を与える“ツール”として演奏者たちの意識に働きかけていく起爆剤的な役割を担うような“変化”がジャズ・シーンで起きることはなかったと考えられるからだ。

    では次回は、マイルス・デイヴィスが指摘しているチャーリー・パーカーの“やたら速い音楽”とはどんなものなのか――を追いながら、チャーリー・パーカーの“踏み絵”としての意味をまとめてみたい。
    <続>

    2017年3月23日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:富澤えいち

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