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    【インタビュー】ジャン=リュック・ポンティ/マハヴィシュヌ・オーケストラ、フランク・ザッパ、そしてアンダーソン・ポンティ・バンドを語る

    配信日: | 配信テーマ:洋楽

    イエスのシンガーとして英国プログレッシヴ・ロック黄金時代を築いたジョン・アンダーソンと、マハヴィシュヌ・オーケストラやフランク・ザッパ、アラン・ホールズワースとの活動で知られるジャズ/フュージョン・バイオリンの名手ジャン=リュック・ポンティという、20世紀音楽史に残る巨頭が、新バンド:アンダーソン・ポンティ・バンドを結成した。

    彼らのデビュー作となるアルバム『ベター・レイト・ザン・ネヴァー〜真世界への旅』は、イエスの名曲「ラウンドアバウト」「同志」「ロンリー・ハート」などでジャン=リュックのバイオリンが大胆にフィーチュアされ、ジャン=リュックの「蜃気楼」「リズムス・オブ・ホープ」などにジョンが新しいヴォーカルを加えるなど、両者の個性のぶつかり合いが奇跡の化学反応を生み出している。

    新バンドの船出を記念して、ジャン=リュックをキャッチ。彼はニュー・アルバムに加えて、その豊潤なキャリアの片鱗について語ってくれた。

    ●ジョン・アンダーソンのことはどれぐらい前から知っていたのですか?

    1974年、マハヴィシュヌ・オーケストラでやっていた頃に、テキサスでイエスと一緒に2公演をやったんだ。ジョンと会ったのはそのときが最初だったよ。ただ、イエスの音楽はそれ以前から知っていた。私はプログレッシヴ・ロックのファンだったんだ。イエス、ジェネシス、キング・クリムゾン、ゴングとかね。それから1980年代の初めに再会した。彼は私のプレイが好きだと言ってくれて、いつか一緒にやろうと約束した。それから2人とも忙しくて、ほとんど忘れていたけど、30年以上経ってようやく実現したんだ。2年前、たまたま連絡を取り合うようになって、ジョンは「蜃気楼」(『秘なる海』/1977年)に即興で歌詞とメロディを書いて、私に送ってくれた。そのとき、このプロジェクトは実現させなければならないと確信したよ。

    ●ジョン・アンダーソンはどのようなアーティストですか?

    ジョンはプログレッシヴ・ロック出身ということもあって、インプロヴィゼーション主体のジャズよりもかっちりした構成の音楽を志向しているけど、柔軟にいろんなアイディアを試すタイプのアーティストだ。彼は毎日のように新しいアイディアを出してくるし、とてもオープンだ。ひとつのスタイルに固執せず、いろんなことにチャレンジする精神を持っている。彼と私に共通していたのは、新しい音楽構成で実験することだった。クラシックの交響曲のような構成でロックをやろうとしたんだよ。

    ●あなたのキャリアを通じて、インストゥルメンタル作品が多くを占めていますが、ヴォーカル入りのアルバムを作ることは難しいでしょうか?

    私は長く音楽活動をやってきたし、新しい環境に身を置くことには慣れている。だから「ロンリー・ハート」や「ラウンドアバウト」「同志」などジョンの名曲を演奏するときも、曲そのものを変えるのではなく、原曲の長所を生かしながら、アレンジャーでなくプレイヤーに徹することが出来たんだ。私のバイオリンがもうひとつのヴォイスとなって、ジョンの声と対話するようにしている。そうすることで、オリジナルの持ち味を生かしながら、まったく新しいヴァージョンになった。「ロンリー・ハート」では単刀直入に、イントロからバイオリンが入ってくるようにしたよ。

    ●あなたがインストゥルメンタルとして書いた曲にジョンがヴォーカルを入れる作業は、どんなものでしたか?

    とても新鮮だった。「蜃気楼」は「永遠のミラージュ」として新しい生命を吹き込まれたし、「リズムス・オブ・ホープ」(『ミスティカル・アドヴェンチャーズ』/1980年)は「希望へのリズム」へと転生した。日本盤CDには「エゴセントリック・モリキューズ」(『コズミック・メッセンジャー』/1978年)を改作した「記憶分子」も収録されている。この曲ではオリジナルのアレンジを変えたりせず、ジョンが自分のパートを上に乗せることになった。

    ●DVDに収録されているライヴは2014年9月、アスペンでのもので、既に1年が経っていますが、それから曲のアレンジはどのように変わりましたか?

    アンダーソン・ポンティ・バンドとしてのアレンジはある程度固定されているけど、インプロヴィゼーションは毎晩異なるよ。それに、このバンドでこれらの曲と一緒に生きてきたことで、より深く感じることが出来るようになった。さらにジョンと1年バンドをやってきて、ライヴに新しい曲を加えるようになった。今では彼がヴァンゲリスと一緒に書いた「ステイト・オブ・インディペンデンス」(『フレンズ・オブ・ミスター・カイロ』/1981年)もプレイしている。さらに私が書いた「秘なる海パート1」と「パート2」もインストゥルメンタルで演っている。バンドのメンバーはみんな凄腕だから、彼らのソロもフィーチュアしたかったんだ。それと『ミスティカル・アドヴェンチャーズ』からの「ジグ」もプレイしているよ。

    ●アンダーソン・ポンティ・バンドはある程度長期的なバンドとして考えて良いでしょうか?それとも単発のプロジェクトでしょうか?

    私たちの年齢を考えると、これから“長期的なバンド”を組めるかは疑問だけど(笑)、出来るだけ長いあいだジョンと一緒にやりたいね。去年は3週間リハーサルをして、2回だけコンサートをやった。本格的なツアーは、これが初めてなんだ。来年(2016年)もツアーをしたいと考えているし、このバンドで新曲のアルバムを作っても面白いと思う。このバンドでやるべきことは、まだたくさんあるよ。

    ●アンダーソン・ポンティ・バンド以外であなたが現在やっているバンド/プロジェクトはありますか?

    うん、こないだスタンリー・クラーク(ベース)とビレリ・ラグレーン(ギター)とのトリオ編成でアコースティック・アルバムをレコーディングしたんだ。『D-Stringz』というタイトルで、とても気に入っている。ビレリは素晴らしいインプロヴァイザーなんだ。アルバムの半分はオリジナル、半分はジャズ・スタンダードをプレイしている。ジョン・コルトレーンの「トゥ・ヤング・トゥ・ゴー・ステディ」とかジャンゴ・ラインハルトの「ヌアージュ」とかね。スタンリーとは1972年以来の友人なんだ。当時、彼は19歳か20歳で、トニー・ウィリアムスのバンドで知り合ったんだ。その頃から彼のベース・プレイには敬服するし、40年以上が経って、また一緒に出来るのは嬉しいよ。

    ●スタンリーとは2011年、リターン・トゥ・フォーエヴァーで一緒にツアーしましたが、それはどのような経験でしたか?

    あれは1回限りの再結成ツアーだったんだ。私はスタンリーだけでなく、チック・コリアとも友人だったんで、声をかけてもらったんだよ。実はチックとスタンリーには、1970年代にもリターン・トゥ・フォーエヴァーに加入を請われたことがある。当時は別のバンドでやっていたし無理だったけど、実現できて本当に良かったよ。私のキャリアのハイライトのひとつだ。

    ●あなたはマハヴィシュヌ・オーケストラとリターン・トゥ・フォーエヴァーの両方に在籍したことのある唯一のミュージシャンですが、両バンドはどのように異なるでしょうか?

    史上最高の2大フュージョン・バンドのメンバーになれたことは、本当に幸運だったと思う。マハヴィシュヌは『黙示録』(1974)や『ヴィジョンズ・オヴ・ジ・エメラルド・ビヨンド』(1975)でプレイしたけど、メイン・コンポーザーだったジョン・マクラフリンがインド音楽に傾倒していた。それに対してリターン・トゥ・フォーエヴァーはアメリカン・ジャズからの影響が強かったから、音楽的にはまったく異なっていたよ。それにマハヴィシュヌではすべての曲をジョンが書いていたけど、リターン・トゥ・フォーエヴァーではインプロヴィゼーションがかなりの割合を占めていた。

    ●1969年にフランク・ザッパのプロデューサーだったリチャード・ボックがあなたの参加しているレコードをザッパに聴かせて、それで『ホット・ラッツ』(1969)のレコーディングに招かれたそうですが、それはどのレコードでしたか?

    ジョージ・デュークと4人編成でレコーディングしたライヴ・アルバムだよ(『Jean-Luc Ponty Experience with the George Duke Trio』/1969年)。当時はまだリリースされていなくて、アセテート盤をフランクが聴いて気に入ったんだ。フランクは本当にクリエイティヴな人物だった。彼はストラヴィンスキーからジャズ・インプロヴィゼーションまで、さまざまな音楽をパズルみたいに組み合わせて、オリジナルなスタイルの音楽を生み出していた。ただ、ザッパのコンサートは彼の曲とヴォーカルを中心としたもので、私のプレイが入り込む余地はなかった。その点ではマハヴィシュヌの方が、はるかに自由があったね。リターン・トゥ・フォーエヴァーでプレイしたのはずっと後のことで、私もミュージシャンとして向上していたから、より音楽的に貢献できた。だから自分的に納得しているのは、リターン・トゥ・フォーエヴァーでのプレイだね。

    ●あなたが共演してきたフランク・ザッパやトニー・ウィリアムス、アラン・ホールズワースらは皆ジャック・ブルースとも共演した経験がありますが、あなた自身はジャックとプレイしたことがありますか?

    残念ながら一度もないんだ。彼が参加したレコードを聴くと、彼が素晴らしい才能を持った作曲家でありベーシストだったことが判る。

    ●ザッパの『アポストロフィ』(1974)のタイトル曲にジャックがゲスト参加しましたが、会う機会はありませんでしたか?

    それは知らなかったね。おそらく私がスタジオにいない時にジャックが録音したんだと思うけど…クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」はロックで、ポップで、プログレッシヴだった。彼とはぜひ一緒にやってみたかったね。

    ●アラン・ホールズワースとの関係はどのようなものですか?

    アランは天才ギタリストだよ。彼とは『秘なる海』をはじめ、何枚ものアルバムで一緒にプレイしているけど、ノックアウトされっぱなしだ。一番最近、彼とレコーディングしたのは『ジ・アカタマ・エクスペリエンス』(2007)かな。このアルバムでの彼のプレイはあまりにエモーショナルで、美しく、深くて、涙が出てきた。

    ●アンダーソン・ポンティ・バンドとしての来日公演は期待できそうですか?

    来年(2016年)春にはぜひ日本でプレイしたいと考えているよ。これまで何度か日本でプレイしたことがあるけど、音楽に対してシリアスな国民だという印象がある。ジョンと私の作ってきた音楽に新しい生命を吹き込んでプレイするから、ぜひ楽しんでもらいたい。

    次回はジョン・アンダーソンに新バンドでの活動と、イエス時代の秘話を語ってもらおう。

    2015年11月12日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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