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    アーティストの本音トーク メナヘム・プレスラー①

    配信日: | 配信テーマ:クラシック

     近ごろ、こんなにも感動したリサイタルとインタビューがあっただろうか。

     4月に来日し、ヴァイオリニストの庄司紗矢香とのデュオ・リサイタルを行ったピアニスト、メナヘム・プレスラーは、心の奥深く浸透する滋味豊かな演奏で私の涙腺をゆるめ、人間性でさらに強く魅了した。

     プレスラーは1923年ドイツに生まれ、現在はアメリカを拠点に世界各地で活動を幅広く展開し、後進の指導にも意欲を示している。

     庄司紗矢香との共演は、彼女がぜひ一緒に演奏したいと熱望したもので、ふたりはモーツァルト、シューマン、ブラームス、シューベルトの作品で見事に息の合ったデュオを披露し、まさに歴史的な共演を成功に導いた。
     
    プレスラーは長年、室内楽を演奏するピアニストとして知られていた。1955年にヴァイオリンのダニエル・ギレ、チェロのバーナード・グリーンハウスとともにボザール・トリオを結成し、以後、2008年に解散するまで53年におよびトリオの分野で活躍した。

     解散後は、ソリストとしての活動を開始。いまや世界各地の著名な指揮者、オーケストラからオファーが殺到、コンチェルトの演奏が多い。もちろんソロや室内楽も演奏し、90歳を過ぎてなお、精力的な演奏活動を展開している。

     今回のデュオ・リサイタルでは、音量のけっして大きくないプレスラーの響きに合わせるように庄司紗矢香も音を抑制し、静けさに満ちたおだやかな演奏が聴き手の耳を開かせ、集中力を促した。

     ときに幻想的でかろやかで歌心にあふれ、またあるときは両者の音の対話が非常に濃密で自由闊達な演奏となり、この上なく美しく情感豊かなデュオが披露された。

     ふたりのアンコールも演奏されたが、実は、ここからが涙ものだった。プレスラーはソロのアンコールを2曲披露したのである。ショパンの「ノクターン第20番嬰ハ短調」と「マズルカ作品17-4」。馬車が行き交っていたショパンの時代をほうふつとさせるゆったりしたテンポ、あくまでも自然で適切なルバート、自分の存在ではなく、作曲家の偉大さを前面に押し出す解釈と表現法、すべてが完璧なる美を放っていた。

     その演奏の余韻は翌日のインタビュー時まで残り、あまりにも深い感動を得たため、ついそれをストレートに口にしてしまった。

     するとプレスラーは、柔和で温かく、ふんわりと大きく人を包み込むような笑顔を向け、うれしそうにいった。

    「そうですか、うれしいですねえ。昨夜のノクターンを聴いていただき、私がいかにあの曲を愛しているかということをご理解していただけたら、演奏家冥利に尽きます」

     そのノクターン第20番は、2012年に録音されたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番のアルバムの最後にひっそりと登場し、天上の響きを聴かせている。

     プレスラーは、アメリカのインディアナ大学のディスティングイッシュド・プロフェッサーの地位にあり、1955年以来多くの生徒たちを教えている。彼のショパンを聴いたとき、こうしたショパンの伝統と様式にのっとった清涼で美しい演奏を生徒たちにいかなる方法で伝授しているのか、それを質問してみたかった。

     なぜなら、昨今の国際コンクールやリサイタルでは、若手ピアニストのとても攻撃的でスピード感あふれる演奏が主体となっているからだ。この質問に対し、プレスラーはじっくりことばを選びながら静かに語り出した。

    「本当に長い間さまざまな生徒を教えてきました。もちろん、生徒にはショパンの演奏がどうあるべきかを教えています。そこで大きな意義をもつのは、私はどうやってピアノを弾くかということを教えるのではなく、音楽のなかの何を見るべきなのか、ということを教えているということです。いまもまだ多くの生徒を抱えています。才能のある人もいればない人もいますよ。コンサートで弾くようになる人もいれば、田舎の町にいって教える仕事に就く人もいます。でも、どんな形で音楽にかかわるにしても、たとえ小さな村の音楽の先生になったとしても、大ホールで演奏する人と同じくらい音楽に対して愛情がなければいけません。私はそれを教えようとするのです。そのためには、自分が音楽に愛情を感じなければなりません。演奏会というのは、自分が楽器を弾けるのだと証明するための場ではけっしてありません。自分の音楽に対する愛情を表現する場なのです。これが、私がもっとも教えたいことなのです」

    2014年5月 8日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:伊熊よし子

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