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    ホークウィンド・インタビュー【後編】/デイヴ・ブロックが語る、45年におよぶ宇宙の秘話

    配信日: | 配信テーマ:洋楽

     前回に続いて、スペース・ロックの覇者、ホークウィンドの総帥デイヴ・ブロックへのインタビューをお届けする。後編となる今回は、バンドの45年におよぶ歴史を彩ってきた事件の数々について、デイヴが語ってくれた。

    ●ホークウィンドのオリジナル・アルバムが次々とリマスター再発される中、『絶体絶命』(1975)だけが遅れて、2013年になってようやく再発されました。何故、これほど時間がかかったのですか?

     当時ホークウィンドのマネージャーがダグ・スミスという人物だった。彼は『絶体絶命』でベースを弾いているレミーが結成したモーターヘッドのマネージャーも務めていた。その後、多額の使途不明金をめぐって、レミーがダグを告訴することになったんだ。結局、裁判は示談になったけど、彼らはずっと不仲のままだった。ホークウィンドのバック・カタログを英『チェリー・レッド』レーベルが再発売するにあたって、ダグが権利の一部を持つ『絶体絶命』に関しては、レミーが「あいつとは絶対関わらない」と言って、許可しなかったんだ。それで結局、レミーが持っていた権利分を私が買い上げて、私が『チェリー・レッド』と契約する形をとったんだ。2012年11月、ブリストルのコルストン・ホールの楽屋に会いに行って、レミーが権利譲渡の契約書にサインしたんだよ。

    ●1975年にレミーがホークウィンドを解雇されて、モーターヘッドを結成した話は有名ですが、その後、いつごろ仲直りしたのですか?

     私自身はレミーと仲違いはしていないよ。彼をクビにするか、バンド内で多数決を取ったんだ。私は彼に残って欲しかったけど、他のみんなは解雇するべきだと主張した。私はそれからも彼と連絡を取っていて、モーターヘッドはホークウィンドと何度もツアーしているし、レミーはEP『ジ・アース・リチュアル』(1983)などにゲスト参加している。

    ●レミーと最近は連絡を取り合っていますか?

     たまに顔を合わせたり、電話したり、話すようにしているよ。レミーは最近体調が良くないようで、心配なんだ。歳をとると、かつて自分に出来たことが出来ないようになる。「自分は大丈夫だ」と思って、無理してフェスティバルに出演したりすると、後でぶり返しが来るんだ。彼にはゆっくり休んでもらいたいね。そうしてエネルギーを充填してから、また一緒にライヴでもやりたい。

    ●72歳のあなたが元気に活動している秘訣は何でしょうか?

     私もティム・ブレイク(キーボード)も毎朝7時半に起きて、夜はぐっすり眠る。それぐらいさ。年齢をハンディと考えたことはない。年を取るごとにクリエイティヴになったと思うよ。ここ数十年、曲作りでスランプになったことはないし、最近ではホークウィンドとソロとホークウィンド・ライト・オーケストラ名義でアルバムをリリースしている。コンピュータを使うようになって、さらに音楽をやりやすくなった。曲のエディットやオーヴァーダブ、ループを自由自在に出来るからね。私のような素人でも出来るんだから、コンピュータでの音楽作りにはすごい可能性があると思う。

    ●スタジオでのレコーディングは深夜作業もあったりして、大変ですよね。

     いや、レコーディングはさほど体力を使わないんだ。ツアーの方がずっと大変だよ。特に移動がきつい。自分の歳を最も意識するのは、ツアー・バスの中だな。食事や睡眠も不規則になるし...若い頃は30日間のツアーなんてへいちゃらだったけど、今では10日も連続してショーをやれば息が切れてくる。

    ●ホークウィンドは常にドラッグ・カルチャーと結びつけられてきましたが、あなた自身はどのように関わっていましたか?

     バンドの初期においては、LSDは精神の拡大に役立ったかも知れない。でも、いったん”鍵の開け方”を知ってしまえば、もう必要なくなるんだ。ファースト・アルバム『ホークウィンド』(1970)の時点で既に、ナチュラルにトリップした状態だった。3作目『ドレミファソラシド』(1972)の頃は、完全にクリーンだったな。もう長年ドラッグなんてやっていないよ。深酒もしないし、タバコも吸わない。バンドの半分はベジタリアンだし、いたって健康的だ。

    ●ところで1980年から1981年にかけて、元クリームのジンジャー・ベイカーがホークウィンドに在籍していましたが、その当時のことを教えて下さい。

     ヒュー・ロイド・ラングトンの奥さんがジンジャーの広報担当だったんだ。前のドラマーが抜けて、アルバムのレコーディングをしなければならなかったんで、彼に頼んでみることにした。最初、みんなすごく緊張したんだ。クリームといえばロック史上に残るトップ・バンドだし、当時から世界最高峰のドラマーと呼ばれていたからね。高額のギャラを支払ったけど、『宇宙遊泳』(1980)のドラム・トラックを3日でレコーディング出来たから、通常のセッション・ドラマーより安く済んだぐらいだった。それでツアーにも参加してもらうことにした。

    ●ジンジャーは少なくない数のミュージシャンとトラブルを起こしていますが、あなたとは問題はありませんでしたか?

     ジンジャーと揉めたことは、実は一度もないんだ。たまに偏屈だと思うことはあったけど、何も問題はなかったよ。大勢の人が、彼がとんでもないカンシャク持ちだと言っているけどね。特に不仲だったのが、当時ベーシストだったハーヴェイ・ベインブリッジだった。ジンジャーは私に「あいつはクビにして、ジャック・ブルースを入れよう」と言ってきたんだ。自分がジンジャーとジャックと一緒にやるなんて夢のような話だったけど、「ハーヴェイは昔からの友達だし、そんなこと出来ないよ」と答えた。ジンジャーは「あんなド下手な奴、ロクなもんじゃない。クビにした方がいい」とゴネていたけど、結局彼が辞めることになった。そうして彼はホークウィンドのキーボード奏者だったキース・ヘイルを引き抜いて、”ホークウィンド”を名乗ってイタリアをツアーしたんだ。酷い話だよな(苦笑)。それからグラストンベリー・フェスティバルのバックステージで一度顔を合わせたけど、それ以来ずっと会ってない。

    ●1981年のグラストンベリーというと、ジンジャーがステージ上でロイ・ハーパーに殴られたという伝説の年ですね。

     そうだ(笑)。ジンジャーとトラブルがなかったという点で、私は少数派だな。

    ●ジンジャーはパブリック・イメージ・リミテッドの『アルバム』(1986)にゲスト参加していましたが、ジョン・ライドンはセックス・ピストルズのライヴで「シルヴァー・マシーン」をカヴァーするなど、ホークウィンドのファンとして知られていますね。

     数年前、『Mojo』アワードの授賞式で、私がプレゼンターとしてジョンに賞を渡したことがあるよ。彼は「こんなもん要らねえ!」とか言って、賞のトロフィーを放り投げていた。ずいぶん失礼な奴だと思ったけど、実は彼は1970年代に私たちのライヴの楽屋を訪れて、「ホークウィンドの大ファンです」と挨拶してきたことがあるし、こないだBBCラジオを聴いていたら”孤島に持っていくレコード”として「混迷の地球を逃れたい」を挙げていた。本当は熱心なファンなんだよ(笑)。

    ●ホークウィンドはデビュー以来、サイケ、プログレ、ヘヴィ・メタル、パンク、トランスなど、さまざまな世代のさまざまなスタイルの音楽に影響を与えてきました。流行廃りの激しい音楽シーンで、長期にわたって多彩なミュージシャン達から支持されてきたのは何故でしょうか?

     さあ、見当もつかないね。ホークウィンドはとても幸運なバンドだと思う。どんなジャンルにも当てはまらないから、あらゆるジャンルのミュージシャン達から”ちょっと違ったもの”として受け入れられてきた。それに若者は、自分たちより年長のミュージシャンが奏でる音楽を聴く傾向があるんだ。十代の私がアメリカの黒人ブルースを聴き耽ったようにね。私がビッグ・ビル・ブルーンジーのギターをコピーしたように、若い層のリスナーがホークウィンドをコピーするんじゃないかな。

    ●ホークウィンドは膨大な数のアルバムを発表してきましたが、その中でビギナーにおすすめ出来る作品はどれでしょうか?

     これまで発表してきたどのアルバムにも思い入れがあるし、特定のアルバムをヒイキすることは出来ないけど、やはり最初のアルバム『ホークウィンド』(1970)は特別だね。どんなミュージシャンにとっても、初めてのアルバムはスペシャルなものだろう。奇妙なエレクトロニクスが入っていたり、今聴いても一風変わったアルバムだよ。『絶体絶命』(1975)や『クオーク、ストレンジネス&チャーム』(1977)、『ザ・クロニクル・オブ・ザ・ブラック・ソード』(1984)…ライヴ・アルバムだったら『宇宙の祭典』(1973)が良い入り口になるだろうし、『ラヴ・イン・スペース』(1996)でベリーダンサーをフィーチュアしたビデオもかなりサイケだと思う。最近ではyoutubeでホークウィンドの曲に合わせた自作のビデオを作る人々がいるんだ。ひとつのアート手法といえる、面白いものだよ。

    ●今後リリース予定の作品では、どのようなものがありますか?

     2006年にオランダのロードバーン・フェスティバルで撮影したライヴ映像作品をリリースするつもりなんだ。ホークウィンド史上ベスト・ライヴのひとつで、9台のカメラと24トラック音声で、素晴らしい出来だよ。私自身が誇りに出来るこの作品が、まだ世に出ていないのは残念だ。ブートレグまがいのライヴ盤が、バンドの知らないところで何枚も出ているのに、最高だと思う作品が出ていないんだからね!




    2014年2月13日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 執筆記者:山崎智之

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