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    「ある日突然演奏がうまくなる」秘密【心を動かす音の心理学】~齋藤 寛

    配信日: | 配信テーマ:その他

     最近、いろいろなところで「あがり特集」とか「メンタルトレーニング」「集中力の鍛え方」というようなテーマをよく目にする。これらはおそらく演奏を経験したことがある人ならどれも克服したいテーマだと思う。音楽演奏は、特に精神的な要素が結果に如実に現れる行為だ。いつもは上手に弾けているのに、たくさんの人を前にすると途端に筋肉が硬直してありえないミスをしたりする。たくさんの人どころか、ともすると自分の妻に「横でノクターン聴いてて」と頼んだ場合だってそれに近いことが起こる。いや、自分一人で録音をしているときだって、なんだかいつもと違う感じがするのはあなたも感じたことがあるだろう。

     人間というのは、周りの状況や精神的なことにずいぶんと振り回される生き物のようである。日々の練習だって、ひたすら練習してもなかなかうまく弾けなくて苦労するものだ。「今日はここのフレーズだけ弾けたら終わりにする!」と思って終わりにしようとしても、弾けば弾くほどミスが増えて終わらない……という風に。

     緊張とか焦りとかいう感情は、リラックスしているときには出てこない。「失敗したらどうしよう」とか「何でこんなに練習しているのに弾けないんだ」と思えば思うほどドツボにハマってしまう。リラックスしていて、いわゆるフロー状態をいつでも作ることができればこんな悩みはなくなるのだろうけど、ついついいろいろな不安や焦りが頭に浮かんできてしまってうまくいかない。

     しかし、これが今回のテーマでもあるのだが、実は意図的にパフォーマンスを上げる状態を作り出すことができる。

     ちょっと思い出してほしい。

     もしかすると、演奏をしている人ならときどき感じたことがあるかもしれないが、「ある日、なんだか弾けるようになっている」という感覚を感じたことはないだろうか。

     おとぎ話のような、ある朝目覚めたら人魚になっていたとかそういうことではなくて(そんな話あったかな)、なんとなくスラスラ弾けるという感覚。「あれ、昨日あれだけ何度弾いてもだめだったのになんかうまくいくな」というレベルの話なのだが、これが実は演奏を自分に定着させていく過程でとても大事になる。

     私も今まで何度もそういった感覚を覚えたことがある。なぜ、そのようなことが起きるのか不思議に思って「どういう状況のときにそれが起こるか」をまとめてみたところ、「ある条件」が必要なことがわかった。

     もったいぶらずに先に答えを言うと、それは「睡眠」である。

     それも寝る直前までちゃんと練習していた翌日に起こることが多いのだ。

     睡眠というと身体を休めるという風に思っている人も多いと思う。もちろんそれも正解なのだが、睡眠の専門家に言わせると睡眠は休息というよりむしろ「活動」だという。どういうことかというと、身体は確かに休んではいるが、脳は逆に全力で活動しているということだ。私たちが日中活動しているときよりも何倍も脳は睡眠中に活動しているということは驚きである。その脳が活動している睡眠のときに、とてもありがたいことに「記憶を整理する」ということを大急ぎでやってくれているのだ。睡眠は記憶を定着させるのと同時に、その記憶を整理して邪魔なものは捨てながら「こなれた」記憶にしてくれるという。

     つまり、起きているときに「ああでもない、こうでもない。何で弾けないんだ。もうこれで50回目だぞ」なんて意識で思っているときはまだ記憶はごちゃごちゃで、脳は整理されていないということ。だから、そんな状態で続けていても突然弾けるようになるということはない。それらの記憶が睡眠を通して、整理されることによって、次の日に「なんだかスラスラ弾ける」という状態が生まれるのだ。

     これは、「レミニセンス現象」といわれており、簡単に言えば一定時間のインターバルを取ることによってパフォーマンスが向上するという現象だ。記憶というと普通は時間が経つほど薄れていくものと思いがちだが、実は睡眠を通して整理されていると考えるのがよいのだ。

     レミニセンス現象を起こすにはもちろん「寝たら」良いのだけれど、それにも条件がある。それは、「寝る前に一生懸命練習した人」に起こるということ。ちょっと弾いて、あとは起きたら弾けているかな~なんて、そんなことはやっぱりない。記憶が整理されるということは、整理するだけの情報量がないとだめなのだ。そして、寝る直前の情報が定着しやすいということもあるので、もし演奏をしている人なら、寝る直前までなるべく練習して、そのあとは刺激を取り入れずにすみやかに寝ることをおすすめする。この「刺激を取り入れずに」ということもとても大切で、寝られないからといって起きだしてテレビを見たりインターネットをしたりしてはいけない。いわゆる情報の遮断が大事なのであって、途中で刺激物を取り入れるとうまくいかないのだ。そして、「情報の遮断」の最たるものが睡眠というわけだ。

     起きている間はひたすら情報をインプットして、あとは睡眠中に整理してくれる脳に任せる。こういったことも科学的現象として知っているとなかなかおもしろい。

     くれぐれも、「一生懸命練習する」ことだけは忘れずに。

    齋藤 寛(さいとう・ひろし)
    音環境コンサルタント。音楽心理カウンセラー、フェルモンド代表。
    群馬県出身。新潟大学教育学部芸術学科でピアノ演奏と音楽心理学を専攻。音や音楽が人の感情に及ぼす影響について研究する。
    飲食店やオフィスなど商用BGMに関するコンサルティングや医療学会での講演、ビジネス書、専門誌への寄稿、ラジオ、テレビ、雑誌などメディア露出も多数。BGMアドバイザーとして音楽を提供する企業への協力や、個人向けに音楽心理カウンセリング(音で心を整える)を行うなどその活動は多岐に渡る。
    好きな音楽家はバッハ、シューベルト、ショパン、シューマンなど。クラシック音楽の素晴らしさを広めるための音楽会も開催している。
    著書に『心を動かす音の心理学~行動を支配する音楽の力~』(ヤマハミュージックメディア)がある。

    齋藤 寛 公式サイト「BGMの心理学」

    2012年2月16日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 

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