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    聴覚は感情を支配する原始的な感覚【心を動かす音の心理学】~齋藤 寛

    配信日: | 配信テーマ:その他

    (文:齋藤 寛)

     五感の中でも原始的な感覚器官は、嗅覚と聴覚だと言われている。

     特に嗅覚は視床をすっとばして、一気に大脳辺縁系と呼ばれる古い脳の領域に入っていく。臭いというのは、人間が意識する間もなく本能的にいろいろと判断しているようだ。

     確かに、スーパーに行ったときに店頭からパンの香ばしい匂いが漂ってくるだけで、思わず食べたくなってついつい買ってしまう。家に帰って大好物のハヤシライスの香りがぷーんと漂ってこようものなら、もう頭の中は「早く食わせろー」状態。仮に「今日の夕飯は子どもだけハヤシライスだけど、あなたはかりんとうだから」と言われたなら、理性を失って暴れてしまうかも。

     そんな、嗅覚と並んでなかなかすばらしい能力を持っているのが聴覚。脳科学の先生がおっしゃるには、「光を感じるということを考えると視覚がもしかしたら先に生まれたかもしれないが、たとえそうだとしても聴覚はごぼう抜きのように他の器官を追い抜いて、より鋭く重要になってきた」ということ。

     例えば、夕方散歩をしていて「いしやぁ~きいも。おいもっ」という声が聞こえてくれば、あなたはそれがどこから聞こえてくるのか瞬時に分かるはずだ。右の方に石焼き芋屋さんがいるのに、左の方向と勘違いすることはまずない。視界にも入っておらず、石焼き芋の匂いもしないのにほぼ正確に位置関係を把握することができるのは実はすごいことだ。

     音から方向を捉えることは、普段何気なくおこなっていることだが、原理的には左右の耳に到達する音の時間差による。時間差といっても、それはもう同時の世界。1/10000とかでも聴覚は聞き分けることができる。視覚ではまったく判断がつかない領域だそうだ。

     それと、聴覚は24時間動いていることも、聴覚の重要性を表している。明るいときに限らず、真っ暗な状態でも聴覚はもちろん働く。むしろ、暗いところのほうが敏感になることは経験的にも理解できるだろう。さらに、方向もどちらからでも捉えることができる。あなたの後ろで「ばーかぁ」という”表情”をされても気づくことはないが、声に出されればすぐに分かる。聴覚は「危険回避」というとても大事な役割を担っているから、どんな状況でもうまく働くのだろう。逆に言えば、聴覚の機能が発達していなければ今の私たちはないとも言える。

     赤ちゃんは生まれる前から母親の心音や外からの音を聞いているし、人間最期を迎えるときでも聴覚は最後まで生きていると言われている。そんな優等生の聴覚だから、いろいろな分野で重宝されているとおもいきやそうでもないのがまたおもしろい。

     先日、クリエイティブディレクターの方とお話をする機会があったのだが、そこでも聴覚の話題が出た。

     私は「音って大切ですよね。CMなんかでも時間をかけて練って練って選んでいるんでしょう?」と聞いたところ、「まったくそのとおりなんですけど、現実はそんなことなくて最後にちょっと音楽を入れてもらったりすることもあります」と。そのクリエイティブディレクターの師匠は、「音楽はCMを支配する」とも言っているくらいで、プロの間でも音や音楽がCMの方向性を180度変えてしまうほどの力があることは理解されている。同じ映像であっても、音楽のメッセージがすなわちその映像のメッセージになりうるわけで、クリエイティブ畑で活躍されている方なら無意識に感じていることだろう。でも、実際は音楽から入ることなく、それどころか音楽プロダクションにちょいっと頼んでしまうこともあるそうだ。なかなか音楽の肩身は狭い。

     店舗BGMはどうか。これも似たようなところがある。新しい店舗をオープンさせようと思っていろいろと構想を練るときに、「BGMはこれでいこう」と先に決める人には出会ったことがない。おおよそ、内装はこうしようとか、家具はこんな雰囲気がいいとか、そんなところから入る。本当は、音楽はその場の空気を支配するほどの力があるのだから、「BGMはサティのピアノ音楽だから、それに合わせて家具はこんなで、壁紙の色は明るくなりすぎないように……」といった会話があってもいいのだが。

     逆に考えれば、世間はそんな感じで聴覚とか音楽のことを捉えているので、差別化を図る素材となることも確かである。内装や家具、食器にこだわった飲食店ももちろん素晴らしいのだが、「音楽にとことんこだわっている」というお店もなかなか魅力的だと思うのだが、いかがだろうか。

     知り合いのエステサロンを経営する方は、見事に音楽をサービスに取り入れている。

     エステサロンというくらいだから、リラックスできる音楽をBGMとして流すのは想像できるが、その先がある。お客さんの表情、体調、その日の気分を読み取ってその人に合わせた音楽をセレクトしているのだ。そのことはもちろんお客さんには内緒。「あなたのために選んでいます」とアピールしないところがまたすごい。お客さんに帰りがけに「BGMで流していた音楽いいですね。なんていう曲ですか?」と聞かれるのが一番うれしいそうだ。

     音楽の力はまだまだ一般には認知されていないだけに、すばらしい武器になることだろう。あなたが、クリエイティブな業界にいたり、店舗を経営していたり、たとえそうでなかったとしても音楽を意識的に取り入れることで新しい世界が開けるかもしれない。

    齋藤 寛(さいとう・ひろし)
    音環境コンサルタント。音楽心理カウンセラー、フェルモンド代表。
    群馬県出身。新潟大学教育学部芸術学科でピアノ演奏と音楽心理学を専攻。音や音楽が人の感情に及ぼす影響について研究する。
    飲食店やオフィスなど商用BGMに関するコンサルティングや医療学会での講演、ビジネス書、専門誌への寄稿、ラジオ、テレビ、雑誌などメディア露出も多数。BGMアドバイザーとして音楽を提供する企業への協力や、個人向けに音楽心理カウンセリング(音で心を整える)を行うなどその活動は多岐に渡る。
    好きな音楽家はバッハ、シューベルト、ショパン、シューマンなど。クラシック音楽の素晴らしさを広めるための音楽会も開催している。
    著書に『心を動かす音の心理学~行動を支配する音楽の力~』(ヤマハミュージックメディア)がある。

    齋藤 寛 公式サイト「BGMの心理学」

    2012年1月19日音楽ジャーナリスト&ライターの眼(1版)掲載 

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