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おんがく日めくり

12月 07日

イタリアの作曲家、ピエトロ・マスカーニ誕生(1863〜1945)

生涯デビュー作を超えられなかった不運なオペラ作曲家

 マスカーニといえば、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」で知られる作曲家。特にその間奏曲の美しさは抜群です。しかし、他にはどんな曲を書き、どんな一生を送ったのでしょう? 今日は彼の誕生日。少しだけそんな彼の生涯を辿ってみましょう。

 1888年、ローマの楽譜出版商ソンツォーニョが一幕もの歌劇の作曲コンクールを行うと発表しました。当時25歳で田舎の音楽教師をしていたマスカーニは、これに応募しようと考え、「カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎の騎士道)」を書き上げました。しかし自信がなかったのか、懸賞にはやはり、学生時代から書きかけの歌劇「グリエルモ・ラトクリフ」の第4幕を出そうかと考えました。そこで妻が内緒で「カヴァレリア・ルスティカーナ」を送ったところ、堂々1等に入選したのです。

 それどころか、1890年5月17日の初演以来どこで上演されても熱狂的な大成功を収め、無名の作曲家マスカーニの名は、たちまち全イタリアにとどろいたのです。リアルな設定で激烈な事件を劇的に描くこのオペラの手法は、「ヴェリズモ」と呼ばれて世界のオペラ界に広まり、レオンカヴァッロの「道化師」などの作品が生み出されました。

 しかし、マスカーニにとって不幸だったのは「カヴァレリア」がデビュー作であると同時に、彼の最高傑作でもあったことです。彼はヴェリズモだけでなく、牧歌劇や悲劇、喜劇、伝説劇、オペレッタ、それに映画音楽まで書きましたが、いずれもぱっとせず、生涯この処女作を越えることが出来ませんでした。

 マスカーニにとっていっそう酷だったのは、ミラノ音楽院時代の同期生プッチーニが、4年に1作のペースで新作を発表し、それが全て傑作との賞賛を得ていくことでした。プッチーニが1904年にジャポニズムを取り入れた歌劇「蝶々夫人」を発表した時は、マスカーニは日本を舞台にした自作「イリス」(1898)の盗作であるとして、両者の雰囲気はかなり険悪になりました。

 それでもマスカーニの人気はいつまで経っても衰えることはなく、彼は常に引っ張りだこでした。しかし、その依頼は必ず「≪カヴァレリア≫を振りに来て下さい」でした。「カヴァレリア」の評判が高まれば高まるほど、彼は焦り、苦しむこととなったのです。晩年にはファシストへの協力を非難され、トスカニーニら旧友も彼から離れ、寂しい生活を送りました。

 死の5年前の1940年、生地リヴォルノで振った「カヴァレリア・ルスティカーナ」が、マスカーニ自身による最後の上演でした。彼の生涯は最後まで「カヴァレリア」の束縛から逃れることが出来なかったのです。


歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲 作曲:Pietro Mascagni 2001 YAMAHA MUSIC MEDIA

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