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おんがく日めくり

01月 11日

フォーク歌手、ジョーン・バエズ来日(1967)

自由と平和を訴え続ける“フォークの女神”

 1960年代、“フォークの女神”と呼ばれていたのがジョーン・バエズ。41年にニューヨークで生まれた彼女は、ボストン大学在学中からギターを片手に歌い始め、50年代の終わりに当時最大規模のフォーク・フェスティバルだった“ニューポート・フォーク・フェスティバル”に出演します。既にアメリカはベトナム戦争に突入しており、反戦集会の様相も呈していたこのフェスティバルに、彼女はなんと真っ赤な霊柩車で乗り付けて反戦をアピール。繊細かつ艶やかな伸びのある高音ボーカルは聴衆を虜にし、一夜にして彼女はヒロインとなったのでした。

 デビュー当初、彼女のヒット曲は、「ドンナ・ドンナ」(ドナドナ)、「朝日のあたる家」、「風に吹かれて」など、どちらかというとトラディショナルやスタンダードが中心で、それほど過激なメッセージを歌うものではありませんでした。しかし60年代半ば、ベトナム戦争が深刻さを深めていくにつれて、反戦の思想を込めた「勝利を我らに」といった歌が多くなってきます。66年には反戦運動家デビッド・ハリスと結婚し、ますますその傾向が強くなっていく中、67年1月にバエズは初めての来日公演を果たします。

 当時は日本でも安保闘争で激動の時期。各地を公演して回った彼女は、「歌手であるよりもまず人間。次に平和主義者です。」と語り、「雨を汚したのは誰」や自作曲の「サイゴンの花嫁」といった反戦歌を披露。聴衆は感激に包まれました。ちなみにこのとき、森山良子が“和製ジョーン・バエズ”としてデビューしたのをご記憶の方も多いのでは? なお、このステージの模様はテレビ中継もされましたが、アメリカ政府当局の圧力で、司会者がバエズのコメントを訳す際に、「この「雨を汚したのは誰」は原爆をうたった歌です」を「この公演はテレビ中継されます」に、「私は自分の払ったお金がベトナム戦争のために使われたくないので税金を払うのを拒みました」を「アメリカでは税金が高い」にと、意図的に誤訳したという話が残っています。

 ベトナム戦争終結後も、一貫して自由と平和を訴えながら活動を続けているジョーン・バエズ。最後に彼女の名言を紹介しましょう。「人はどう死ぬか、いつ死ぬかを選択できない。どう生きるかこれだけは決められる。さあ、決めるのです」。



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