新たな刺激を求め、バンドを渡り歩いた超人ドラマー
つわもの揃いの
ロック界といえども、コージー・パウエルほどさまざまなバンドを渡り歩いたプレイヤーはいないでしょう。60年代から
セッション・ドラマーとして活動していた彼のメジャー・デビューは、70年、第2期
ジェフ・ベック・グループのドラマーとしてでした。72年にベックがバンドを解散させた後、73年に自らのバンド“ベドラム”を結成しますが、その年のうちに解散。74年には“コージー・パウエルズ・ハンマー”を結成しますが、翌年なぜかプロ・レーサーに転身を図り解散。しかし結局すぐに音楽に戻って“ストレンジ・ブルー”を結成するも、1カ月で解散してしまいます。
彼が
ハード・ロック・ドラマーとして名声を不動のものにしたのは、76年〜79年の“レインボー”在籍時代です。よりヘビーでパワフルな路線を追求していた同バンドのリーダー、
リッチー・ブラックモアにとって、「ジョン・ボーナム(
レッド・ツェッペリンのドラマー)のパワーとイアン・ペイス(ディープ・パープルのドラマー)の手数を兼ね備えた」パウエルのドラムは理想のもので、パウエルもエネルギッシュなツーバスドラムの連打で見事に応えました。ただし個性の強い二人の間にケンカは絶えなかったようで、79年に脱退。その後も“マイケル・シェンカー・グループ”、“ホワイトスネイク”、“
エマーソン、レイク&パウエル”、“ブラック・サバス”、“ブライアン・メイ・バンド”、“イングヴェイ・マルムスティーン・バンド”など、それこそ数え切れないほどのバンドを渡り歩きます。
まさに彼は渡り鳥でしたが、この遍歴は彼がそれだけの名だたるバンドで必要とされる腕の持ち主だったことの証明でもあります。おそらく彼の演奏能力が高いがゆえに、1つのバンドにとどまって同じプレイを続けるよりも、常に新しい刺激を求めていたのでしょう。そして98年の4月5日、ブリストル郊外の高速道路で中央分離帯に彼の運転する車が激突、帰らぬ人となってしまいます。折しも“レインボー”が、彼を含む黄金期のメンバーで再結成をする矢先のことでした。
キル・ザ・キング 作曲:Ritchie Blackmore,Ronnie Dio,Cozy Powell
2000 YAMAHA CORPORATION
- ※おんがく日めくりの更新は2002年10月をもって終了しました。
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