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おんがく日めくり

07月 30日

アメリカのポップス歌手、ポール・アンカ誕生(1941〜)

たった10日で、スターの座を手にした“ゴールデン・ボーイ”

 生存競争が熾烈なショービジネスの世界で、1950年代からずっとトップクラスの歌手/作曲家であり続けているポール・アンカ。彼はカナダのオタワにある、レストランの経営者の家に生まれました。この店では、人気スターたちがよくショーを開いており、少年時代のアンカはそのショーを見るのが何よりの楽しみだったといいます。

 あるとき店に、当時大スターだったロック歌手ファッツ・ドミノが出演しました。ドミノに会いたい一心で楽屋に押しかけたポール少年は、ショーをマネージメントしていたアーウイン・フェルドという人物と出会います。フェルドはドミノと熱心に話しこむ少年がよほど印象深かったのでしょう、住所と名前を書き留めました。実はこの瞬間から、アンカのサクセス・ストーリーは始まっていたのです。

 その後、アンカは12歳で音楽コンテストで優勝し、地元のナイトクラブなどで音楽活動をはじめます。しかし両親は法律かジャーナリズムの道を希望しており、「音楽か、進学か」という若者らしい悩みも抱えていました。そんな頃、ふとした偶然でフェルドに再会し、「ニューヨークに出て運を試してみたら?」と勧められます。そこでアンカは、渋る父親を説得し、イースター休みの10日間という約束でニューヨークに出かけました。そんな短い期間で「何か」が起きるとは、両親はもちろん思っていなかったことでしょう。

 ところが、ここからがトントン拍子でした。ニューヨークへ着いてすぐに、知り合いを通じて有名プロデューサーのトム・コスタに会うことができたのです。彼の前で、年上の女性への想いを込めた自作の曲を歌うと、コスタはすぐさまアンカの才能を見抜きました。その曲こそが、あの大ヒット曲「ダイアナ」です。このときアンカは16歳。彼はたった10日間で自らの才能を証明し、スターの座を手にしたのです。

 その後、彼を見いだしたフェルドがマネージャーとなり、「ユー・アー・マイ・デスティニー」などのヒット曲を次々と発表。若くしてトップスターとなり“ゴールデン・ボーイ”と呼ばれました。しかし彼はその地位に甘んずることなく創作を続け、数々の名曲を世に送り出したのです。フランク・シナトラに提供した「マイ・ウェイ」はポップス史に残る不朽の名作と言えるでしょう。


ユー・アー・マイ・デスティニー 作曲:Paul Anka 1999 YAMAHA CORPORATION

  • おんがく日めくりの更新は2002年10月をもって終了しました。
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