ページ内移動リンク

ホーム > ういくり > おんがく日めくり


おんがく日めくり

05月 22日

オペラの巨人、リヒャルト・ワーグナー誕生(1813〜1883)

借金、革命、国外追放…波瀾万丈の生涯を送ったワーグナー

 19世紀後半を代表するオペラの作曲家は、イタリアのヴェルディ(1813〜1901)とドイツのリヒャルト・ワーグナーだといえるでしょう。ワーグナーは、幼い頃からの音楽教育は受けておらず、ピアノを習ったことはありましたが、指の訓練が嫌でやめてしまい、それ以後は文学に興味を持っていました。ところが15歳の時、ベートーヴェンの「第九交響曲」を聴いて感動し、作曲家を志すようになります。しばらく自己流で勉強していましたが、先生について正式に学び始めると、普通なら習得に4〜5年はかかる和声学対位法を、わずか6カ月で完璧にマスター。20歳の時にはもう指揮者としてデビューしていました。指揮の傍ら作曲も続けていましたが、こちらはほとんど評価されず、ヨーロッパ各地の歌劇場を転々としながら、やっと生活しているという有様でした。金遣いが荒いこともあって、借金がどんどん増えていき、それが返せないために、一時は刑務所に入っていたことさえありました。

 ワーグナー29歳の1842年、ドイツのドレスデン宮廷歌劇場で自作のオペラ「リエンツィ」を初演する機会が訪れ、大成功を収めます。この成功により、宮廷楽長となったワーグナーは、自分のオペラを次々とこの劇場で初演していきます。ところが1849年にドレスデンで革命が起き、革命側についたワーグナーには国家反逆罪で逮捕状が出されました。捕まったら、まず死刑です。命辛々ワイマールにたどり着いたワーグナーは、この地で宮廷楽長をしていたフランツ・リストを訪ねて偽のパスポートを作ってもらい、スイスに逃れました。以後、1860年に恩赦が発表されるまで、ワーグナーは祖国ドイツに戻れない状態が11年も続いたのです。

 再び経済的に苦しくなったワーグナーに救いの手を差し伸べたのは、南ドイツのバイエルン国王ルートヴィヒ2世でした。1864年のことです。ワーグナーの音楽に心酔していた彼は、邸宅の提供をはじめ、惜しみない援助を申し出ました。以後、ワーグナーは身分の安定を得て、作曲に没頭。台本も自分で書き、音楽と舞台芸術の一体化を押し進めた「楽劇」と呼ばれる円熟期の傑作を生み出していきました。また、自作を上演するためにバイロイト祝祭劇場を建て、上演に丸4日もかかる代表作「ニーベルングの指輪」などを発表していきました。

 こうして富と名声の絶頂にあった1883年2月13日、ワーグナーは書斎で執筆中に心臓発作に襲われます。最後に息を引き取ったのは、うめき声に駆けつけた最愛の妻にして命の恩人・リストの娘、コジマの腕の中ででした。オペラの巨人の波瀾万丈の人生は、ついに幕切れを迎えました。


楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲 作曲:Richard Wagner 1997 YAMAHA CORPORATION

  • おんがく日めくりの更新は2002年10月をもって終了しました。
    コンテンツは、アーカイブとして継続公開します。

その他の出来事

おんがく日めくりメニュー

人名検索

おんがく日めくりに登場する人物を人名で検索できます。

曲データ一覧

おんがく日めくりで紹介している曲の一覧をご覧いただけます。

イラスト集

おんがく日めくりで掲載しているイラストが月別の一覧でご覧いただけます。

音楽用語事典

音楽用語事典をご覧いただけます。

おんがく日めくりについて

おんがく日めくりについての説明や音楽を聴く方法、著作権についてなどご覧いただけます。

関連リンク

ミッドラジオプレーヤ

ページの先頭にもどる