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おんがく日めくり

09月 22日

ブルースの女王と呼ばれた歌手、淡谷のり子没(1907〜1999)

生活のためモデルをつとめた学生時代

 60年以上も歌謡界で活躍し、1999年に92歳で天寿をまっとうした淡谷のり子。東京都の護国寺で営まれた音楽葬では、森進一が淡谷の代表曲「別れのブルース」を遺影に向かって熱唱し、ファンを含む1000人近い弔問客が最後の別れを惜しんだのでした。

 淡谷のり子は1907年に青森市の大きな呉服商の長女として生まれました。裕福な環境で育てられましたが、のちに家業が没落。1923年、放蕩者の父親に見切りをつけた母親と妹と3人で上京します。食べるものに困るほどの貧乏のなか、母はのり子に自立した女性になってほしいと東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に進ませました。ぐいぐいとクラシックの声楽にのめり込んでいくのり子。しかし生活が苦しく、休学して画家のヌードモデルをつとめたのは有名なエピソードです。17歳の少女にとってはもちろん勇気のいることで、最初は緊張と恥ずかしさのために気絶してしまったそう。「芸術のため」と誇り高くモデルをつとめながら歌への情熱を燃やし、復学後は猛勉強を重ねました。

 1929年、首席で卒業してすぐクラシックの歌手としてデビューし「10年に1人のソプラノ」と絶賛された淡谷は、タンゴジャズの魅力に目覚め、流行歌の世界に移ります。恩師や友達からは堕落と見なされ、母校の卒業生名簿からも名前を削られてしまったのはショックなことでした。しかし、大衆の心に本当に訴える歌を歌おうという思いを貫いたのです。1937、38年に「別れのブルース」「雨のブルース」がヒットし「ブルースの女王」と呼ばれるようになった淡谷は、ジャズやタンゴ、シャンソンまで幅広いレパートリーを歌いつづけました。

 “贅沢は敵”とされた戦時中も華やかなドレスと化粧でステージに立ち、軍に始末書を何枚も書かされてもメゲなかったという淡谷のり子。後輩歌手のことを「歌手じゃなくてカス」と言って物議をかもした毒舌も、あまりにも有名です。伝説的なエピソードにこと欠かないのも、実力と人気を兼ね備えた真のスターの証といえるでしょう。



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